『幻視するアイヌ』、木名瀬論文など

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 12月10日に書店で出会い、購入。

自分自身のためのメモとして。12月24日。
 文化人類学、近現代アイヌ史に関する事柄の研究者である木名瀬さんの
論文に刺激を受けています。
 ただ1970年代の「運動」の括り方には少し違和感があります。
10年前の記述ですが、引用させてもらいます。

部分引用
『他者性のヘテロフォニー
―現代のアイヌイメージをめぐる考察―』1998年
『民族学研究』63-2、pp.182- 191、東京:日本民族学会
木名瀬 高嗣 (東京大学大学院)

http://homepage2.nifty.com/tkina/ac/19980930.html
 引用貼付け ここから

 しかし、アイヌをめぐって「文化」が盛んに発話されるようになる背景については、さらに媒介的な要因として、反体制運動のパラダイムシフトという外部的な動向を考える必要がある(9)。アイヌをめぐる諸問題の観点から見た場合、1960年代までの新旧左翼一般には、普遍主義的・進歩主義的な歴史観や、反米をバックボーンとしたナショナリズム性などの限界が見られたが、これが反体制運動の行き詰まる70年代前半期に変化し、環境危機などの現実の社会的な問題を反映して、エコロジーや「第3世界」論など近代主義の枠を超えた問題系との連鎖を強くしたムーブメントが生み出されるようになる。例えば「原始共産制への退却」としての「アイヌ革命論」を提唱した太田竜(1973)などは、その流れの延長上にあるものである。
 それは一方では、いわゆる「過激派」の(それもほとんどの場合和人の)活動家によって引き起こされた「アイヌ解放運動」およびそれに続く連続爆弾闘争などに影響を与えた(10)。しかし他方ではこれが、新左翼退潮後の市民運動を中心とした「優しいサヨク」の台頭と軌を一にして、「近代文明を相対化するオールタナティヴなライフスタイル」としての価値評価がアイヌ文化に関して生まれ出していたことと水脈を通ずるものである事実も看過できない(11)。
 
 引用貼付けここまで。

 アイヌ解放運動をめぐる文脈での記述なので、1970年代を図式的に整理しているという限界は承知できるが「反体制運動」という大枠な切り口での区分けには違和感を持つ。
 破綻したのは「新旧左翼」の政治的な闘争、もしくは政治的に焦点化させた闘争の仕方であったのではないか。
 太田竜の延命は課題として第三世界、辺境論を持ち込んだだけであって、社会的に焦点化させるというスタイルは旧来のものと変わらなかったのではないか。
 
 草風館から昨年07年7月に刊行された『アイヌ民族の歴史』榎森進著が地域図書館に所蔵されていたので借りた。
 こちらは1970年代の記述は『アヌタリアイヌ』紙を一つの軸に記述しているが、一連の事件に関しては「無視」している。最後期の『アヌタリアイヌ』発行体制を推測で書いているが、聞き書き可能な当事者の確認を避けている。
 
 精読はしていないが、同書は山道康子さんの活動に関して全く触れていないようである。

 木名瀬さんの関連して読む「べき」論文として以下がアップされているので全文を読まれる方、関心ある方は直接アクセスを。
 『表象と政治性
―アイヌをめぐる文化人類学的言説に関する素描―』
木名瀬 高嗣(東京大学大学院総合文化研究科)
http://homepage2.nifty.com/tkina/ac/19970630.html
 
 未刊でありウェブにアップされていない「論文」が気にかかります。
                       未完→未刊と訂正 25日

木名瀬高嗣
1995「アイヌをめぐる言説の政治学」(東京大学大学院総合文化研究科提出修士論文 :未刊)
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by 1926723 | 2008-12-23 20:46