安応七訊問調書

被告人第六回訊問調書
 1909年11月24日 関東都督府監獄署に於て検察官溝渕孝雄書記岸田愛列席通訳嘱託園木末喜通訳

問 其方は日本の近世史を読したか
答 大概読んで知って居ります
問 如何なる事をせられたかと
答 能くやった事も悪くやった事も皆知って居ります
問 伊藤さんも昔は一度其方が持って居る様な考えと略々同一な思想を持たれて居って排外思想が強かったので家老を殺さんと迄した考えがあった様であるが一度西洋へ行きて其文明を見て従来の考へを改めと言う事であるが其様な事が近世史にあるを見たか
答 左様な事は皆知って居ります

伊藤の生涯に関する問いが続く

問 日清戦争は東洋平和の為になしたる事を日本が宣言して居る事は知って居るか
答 左様です東洋平和を維持し且韓国の独立を図ると言う事でありました

答 私は日本が韓国を併呑せんとして居る野心があるにも拘らず列国が黙視して居る理由も知って居ります

溝渕は日本の検察官として日清・日露戦争の経緯を踏まえた質問を続ける
韓国保護論の展開
「後見人」論としての統監府の意義、かってな理屈で問いを発する

答 東洋平和と言うことを眼中において伊藤サンの政策の誤って居ることを憎むのであります

問 東洋とは何処か
答 亜細亜州 支那、日本、韓国、シャム、ビルマであります

問 東洋平和とは如何なる意味か
答 それは皆自主独立して行く事が出来るのが平和です

問 韓国保護は東洋平和の為めであるが如何

答 安応七は「村落の三人兄弟に例える」

問 伊東公を殺せば日本が韓国に対して施し居る保護政策即ち統監政治が廃せらるると思って居るか
答 左様に思って居ります

問 保護協約は決して消滅せぬ
答 其協約は伊藤が兵力を以て皇上に迫り強制して承諾せしめたのであります

答 伊藤を殺せば日本も自覚するであろうと思うて伊藤を殺しました

安による伊藤批判が続く

溝渕は幕末、安政年間の米国の軍艦来訪を語り始める、伊井大老殺害の話

答 当時の条約と性質が違う、日韓協約は兄弟同士で一方が食い物にしている、伊藤さんは三年間に韓国有用の人は皆殺して居ります

答 伊藤さんは韓国に対し保護をした実は少しもありませぬ

この後、同盟の話、安が指を切ったこと


第七回
1909年11月26日
関東都督府監獄署に於て検察官溝渕孝雄書記岸田愛列席通訳嘱託園木末喜通訳
問 昨年三月廿一日発行の海朝新聞へ投書したか
答 日は忘れましたが一度投書しました事あります
問 其時海朝新聞社に張志淵と言う者が居ったか
答 多分其人も居ったと思ひます
問 其方の投書に初めに「人の心の結合に依り国権を興隆すべしとの適切なる貴紙社説に
係り感スル所あり浅見を願しす敢て一語を寄す」と言う事を書いてあったか

問 一昨日申した日韓協約に依り日本が私心なく韓国の為に尽して居るとの事は其方は考えても合点が行かぬか
答 表面は其通りに相違ありませぬが伊藤さんの裏面は夫れと相違して居りますから私は合点が参りませぬ

ハーグ平和会議の経緯をめぐって応答

第八回訊問調書 1909年12月20日 関東都督府監獄署に於て検察官溝渕孝雄書記岸田愛列席通訳嘱託園木末喜通訳

五箇条約成立してから初めて覚った
安昌浩の演説を鎮南浦で聞いた

議定書をめぐる問答

溝渕は協約の宣言が韓国の独立、皇室の安寧だと、言い出す

昨年二月、伊藤公が統監部において韓国の元老を集め演説せしめた
演説の大要を語る
本年一月大邱における伊藤公の演説
本年一月平壌における演説

歴史的な問答
韓国の始め新羅高麗の頃は元明の正朔を奉して……
李朝の始まり

1900年、露西亜の干渉
韓国独立の実力がないこと

江華島事件を溝渕が持出す、「日本軍艦を朝鮮人が砲撃したと言う事件」
伊藤公は未だ政府主脳者ならざりしも先輩の下に付し朝鮮に対して兵は
起こすは不可であると意見を主張されたのである
 伊藤公が明治四十年五月の韓国第二次内閣成立した時に演説せられて居
る…

 壬午の乱ありたる事を知って居るか

 朝鮮には党渦なるものあり……

 朝鮮独立に関する議論をしかける

 韓国に対して日本帝国政策は韓国を自主独立せしめねばならぬと言う友義的の年来の
国是より統監府は置いて其扶掖を実現しつつあるが其方は夫を解しないか

 略
 
 答 伊藤公を殺すことは人道に反するものと信じませぬ伊藤公の為に殺されたる何万人の
代わりに伊藤公一人を殺したのです

 問 如何にして伊藤公が数万人を殺したか

 答 明治維新の際の変乱日清、日露の両役に於て数万人の人命を失われた翌日本先帝を毒殺
し統監として韓国に来てから数万の人命を断ちました

 問 如何にして先帝を毒殺した事が分かるか
 答 書名は忘れましたが日本人の拵えた書物に記載してありました

 略

 答 伊藤公が韓国の為めに人民を殺したものなる事は承知して居ります
私が伊藤公を殺したのも即ち韓国の為めで結局同一の手段に出たのです。

 答 韓国二千余万の同胞の者の代表として決行したのです。

 問いは「断指同盟」に関して、安は答えで「断指同盟」と語らない

第九回訊問調書 1909年12月21日
[PR]
by 1926723 | 2009-10-26 08:34